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婚約について

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婚約の風習は、主として欧米にみられるもので、日本ではまれであるといってもよいでしょう。
家族法のなかにも、婚約に関しては特別の規定がみあたりません。
ただ、たとえたんなる口約だけによるものであっても、裁判所が、婚約によって有形無形の損害を受けたことを認めたときには、損害賠償の請求ができることになっています。じじつ、そうした判例も少なくありません。
婚約は、一面において結婚の意志の表明または保証であり、それを公けにするばあいは一種の社会的保証としての意味をもつと同時に、他面において、相手を束縛することであり、それを公けにするぱあいは一種の独占宣言を意味することでもあるわけです。しかし、それらの保証や束縛が、法的に効果がないとすれば、婚約はあくまで道義上の問題とみなすべきものでしょう。
夫婦間で問題が発生したら、このように解決までは精神的にも肉体的にも大変ですので、結婚相談所 比較 で、相性ピッタリの結婚相手を見つけましょう。
婚約を、何か法的効果をもつものとまちがって考え、あとになって後悔するようなことのないようにしなければなりません。
たとえ、婚約の指輪を交換したとしても、それはたんに当事者二人だけの問題にすぎないことを忘れないように。

結婚相談所の利用

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見合が、ふつう家族や親戚知人による、いわば個人的な結婚紹介であるなら、結婚相談所は、それが社会的な機能となったもの、といえましょう。
見合は、他人の世話によるものである、という理由で、それを拒否したがる現代人にとって、結婚相談所はもっとも理想的な紹介機関であるともいえます。
家族の紹介でない点が、のちに家族とのあいだの調整という問題を残しはしますが、結婚祁談所の機能が、はじめに双方の客観的条件を明らかにする、という点に長所があることは見のがすことができません。
出会いのチャンスはここにあります。→出会いがない が、そこから先は自分で頑張らなきゃならない。ここを読んでいるあなたなら大丈夫。
今日、公立の結婚相談所が全国にあり、今後もふえる傾向にあるようですが、その機能がより完全なものとなることは、結婚のためには大いにのぞましいことといえましょう。
現状としては、主として見合の機会がえられない男女が多く利用しているていどかもしれませんが、結婚紹介の社会的機能として、より多くのひとが利用することで、結婚相談所の重要性はいっそう高められるにちがいありません。
近年は40代や50代の方も過去よりも多く結婚相手を探しております。しかし、偶然ではなかなか見つけられないので、結婚相談所を利用する方法が増えております。

見合い結婚に対する偏見

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見合結婚のもつ合理性にもかかわらず、それは往々にして、古いまちがった方式であると考えられがちです。
それが、ある偏見からきていることは、まちがいありません。
第一に、あやまれる恋愛結婚の主張による影響があげられましょう。
第二には、内容が変わっているにもかかわらず、見合という形式が封建的であるという点にこだわっている考え方からくるものがあげられます。
こうした偏見に加えて、見合は相手をテストするようなもので、テストするのが非人間的であるうえに、テストされることもよろこばしいことであるとはいえない、といった考え方による見合反対論もあるようです。
この考えは、一見いかにも人格主義的で、もっともなようにおもわれるかもしれませんが、やはり偏見であることにかわりはありません。
テストするとかテストされるとかいった発想じたいに、まちがいがあるのです。
見合とは、ほんらい、結婚生活を一しょにやってゆけるかどうかについて、引き合わされた二人が、ともに話し合い確かめ合うためのものであるはずです。
結婚を申し込んできた人間をテストして採用不採用を決定するのが、見合ではありません。
見合を、そのようなものと考えることじたい、まことにごうまん不遜というほかありません。
逆に、テストされると考えるほうも、見合に対する偏見からまぬがれていないことは明らかです。
見合に対する偏見には、また、結婚相手はひとりで捜すべきで、他人に世話してもらうべきものではない、といった考えもあります。
こういう考えほど根拠のないものはないといえましょう。
まず相手がいないと、話にならないので、ここ→で相手を探してください。
よりよい結婚相手を捜そうとおもうなら、できるかぎり多くの機会をのがさぬようにするのが賢明であることはいうまでもなく、意識的につくりだされたものである見合の機会を拒否して、偶然にあらわれる機会だけが貴重であるかのように考えるのは、あまりにも夢想的でしかないといわなければなりません。
結婚は、けっしてロマンチックな夢のようなものではなく、もっと現実的な、意識的な努力によってのみ、成功させることができるのです。
さいごに、見合の機会が与えられたときには、たんに第一印象だけに頼らず、できるだけ話し合う努力を忘れないよう忠告しておきます。
人間は複雑な存在であり、第一印象なるものは、たいていあまり頼りにならないものであることを知っておく必要があります。

見合い結婚の利点

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見合が、ふつう、家族または親戚知人が両者の客観的条件についてあるていどまで調べた上で、二人の候補者を引き合わす、というかたちでおこなわれる点が、まず、結婚にとってよりふさわしい方法であるといえます。
見合が、家父長家族制時代でのように、家のためということを主として、たんに形式的に二人を引き合わすものであり、結婚する二人の意志が無視されがちであった、といったものではなくなっている今日、とかく主観的な判断だけで相手をえらぼうとする若い男女にとって、まず客観的条件が検討されてから引き合わされる、という形式は、その後の決定が主として当人たちの意志にまかされるかぎり、もっとも理想的であるといえましょう。
とくに、さいきん、一回か二回の見合ですまさず、一定の期間、交際して判断する方法がとられ、交際結婚という名称ができていることは、まえにも書いたとおりです。
この、見合から交際という手順をふんでの結婚は、あやまった恋愛結婚が支配的であるために、結婚・家族制度が社会問題となるほど混乱におちいっている欧米人にとっても、うらやましがられるほどの合理性をもっています。
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見合結婚はまた、結婚相手としてさけたいひとが、かなりのていどまで、事前にふるいおとされる、という長所をもっています。
見合の段階にゆくまでに、家族や親戚知人がすでに、相手についてあるていど知っているか、ばあいによっては賛成してさえいるという点は、他の方法による結婚とくらべて、その結婚が少なくとも自分の属する家族社会に歓迎される可能性をより強くもつものであることを、証明するものといえましょう。

恋人どうしは、むしろ結婚にはむいていない

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「釣ったさかなにえさをやるバカはいない」ということばどおり、結婚する前と結婚した後との態度のちがいは、当然のことにすぎないことになります。
結婚が、相手を独占する手段でしかなければ、結婚してしまえば、相手はもう「釣ったさかな」で、えさをやる必要はなくなります。
結婚のために恋愛を主張するもの、恋愛の結果として結婚を考えるもの、いずれの恋愛結婚論一も、結婚にとってはもちろん恋愛にとっても好ましくないことが、これで明らかとなったこととおもいます。
恋人どうしは、むしろ結婚にはむいていないのです。二人が、恋愛を捨てて、質のちがう結婚・夫婦愛をものにしようと考えるときにのみ、恋人どうしの結婚に成功の可能性が生まれるのだ、と考えなければなりません。
もっとも、今日、恋愛といわれているものがほとんど、結婚相手としてえらんだものどうしの婚前交際にすぎないことをおもえば、それほどさわぐこともないともいえるかもしれません。
ただ、そのぱあい、たんなる婚前交際を、恋愛だとか恋人だとかいうことばを借称することで、かざり立てることのあやまりに気。つく必要がありましょう。
素敵な結婚相手を仲人協会 評判 で、見つけても結婚後に問題は発生した場合、ここに書いてあるように意外と改善に手間がかかります。気を付けましょう。
恋愛結婚といわれるものが、多くは、若い男女がたんなる好き嫌いによって相手をえらび、結婚が家族人による結びつきであることを知らずに、結婚におもむくという根本的な欠陥をもつものであるのに反して、いわゆる見合結婚が、その点で恋愛結婚よりもはるかに合理的であることは明らかです。

見合結婚と恋愛結婚の違い

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恋愛関係にあった男女が、質的にちがった夫婦関係にはいって、それに成功する可能性が、はじめから夫婦関係にはいる男女のそれとくらべて、かならずしも大きいとはいえないとしても当然でしょう。
むしろ、恋愛結婚のほうが、そうでない結婚よりも崩壊しやすいことは、十分考えうることであり、家庭裁判所の数字にあらわれた離婚率の、恋愛結婚と見合結婚における差は、それを裏づけているともいえましょう。
恋愛結婚論者が、もし、結婚のための恋愛を考えているとすれば、それは正しくは恋愛とよぶべきものではありません。
恋愛は、恋愛だけで完成すべきもので、恋愛以外の何ものかの前段階とか手段であるとみるべきものではないのです。
つまり、結婚における夫婦愛と、恋愛における男女愛とのあいだには何の関係もなく、それぞれが別個のものとして独立したものである、ということです。
相性が合う結婚相手をでみつければ、夫婦間に問題が生じて解決するためにここに書いたような大変なことをしないで済むかもしれません。
恋愛結婚といわれるもののなかには、結婚の前提として恋愛を考えるもののほかに、恋愛の結果としての結婚があります。
現代の結婚が社会制度である以上、社会制度とは本質的に無関係な恋愛が、結婚を結果するということは、少なくとも自然な発展によるものでないことは明らかです。
まえにもいったとおり、そうした結果は、恋人を独占したいために、結婚を手段として利用しようとするところから生ずるのです。